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2005年5月28日 (土曜日)

日本海海戦100周年(5/27):おまけ

ところで、本日施設長はカレーライスを作ってみた。市販のカレールーを使えばすぐできるが、小麦粉を炒め、カレー粉とスープブイヨン、そして隠し味にチャツネを加える手作りの方法で作る。できたものはカレーライスとしてはなんとも素朴な味わいになり、いかにも日本人懐かしのカレーライスという感じになる。これが食いたかったのだ。

カレーライスはもはや日本人の国民食とも言えるが、日本でよく食べられるカレーライスはご存知の通り、元ネタであるインドや東南アジアのカレーとはだいぶ姿が違う。この日本のカレーライスの成立は旧日本海軍の軍隊食が最初と言われている。日本の海軍は元々明治期に英国海軍に学んで作られている。英国はインドを植民地としていた関係で海軍の軍隊食にカレーが使われていた。これが一緒に導入されたものだったようだ。英国海軍ではカレーをシチューの代用品(シチューよりも日持ちのする材料で作れる点が海軍の軍隊食としての利点だったようだ)として食べていたようで、日本のカレーがインドや東南アジアのカレー等と違い、小麦粉を使ってシチューのような姿なのはそのせいである。

明治41年に刊行された「海軍割烹術参考書」という資料で、軍隊食の調理法がまとめられているが、その中にカレーライスについての記述があるそうである。

海軍割烹術参考書(明治41年刊行)より抜粋:

材料牛肉(鶏肉)人参、玉葱、馬鈴薯、鹽「カレイ粉」麥粉、米

初メ米ヲ洗イ置キ牛肉(鶏肉)玉葱、人参、馬鈴薯ヲ四角ニ恰モ賽ノ目ノ如ク細カク切リ別ニ「フライパン」ニ「ヘット」ヲ布キ麥粉ヲ入レ狐色クライニ煎リ「カレイ粉」ヲ入レ「スープ」ニテ薄トロヽノ如ク溶シ之レニ前ニ切リ置キシ肉野菜ヲ少シク煎リテ入レ(馬鈴薯ハ人参玉葱ノ殆ド煮エタルトキ入ル可シ)弱火ニ掛ケ煮込ミ置キ先ノ米ヲ「スープ」ニテ炊キ之レヲ皿ニ盛リ前ノ煮込ミシモノニ鹽ニテ味ヲ付ケ飯ニ掛ケテ供卓ス此時漬物類即チ「チャツネ」ヲ付ケテ出スモノトス

最近では、スーパーなどでも懐かしのカレーライスのイメージを売りにして、「海軍カレー」などと銘打った商品が出ているようだ。一度手作りでも作ってみてはいかがだろうか。上述だけだと、分量などの記述がなくわかりにくいので、以下のURLを紹介しておく。以下はなんと海上自衛隊のサイト。ちなみに現在の海上自衛隊でも旧海軍の習慣を継承して、今でも週に決まった曜日にカレーライスが出るそうである。

「カレイライスレシピ」を試してみませんか。 (海上自衛隊第4術科学校のサイトより)
海軍レシピ (海上自衛隊第4術科学校のサイトより)

※リンクが変更、かつ内容が拡充されていたので修正、追記(2008/1/15)

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日本海海戦100周年(5/27)

更新が途絶えてしまいましたが、ここ最近の多忙状態、来月半ばくらいまでは続きます。あな悲し。ニュースは相変わらず日々いろいろ飛び込んで来るのに、残念である。
さて、5月27日は、日露戦争で最大の海戦であり、その勝利によって講和のきっかけとなった日本海海戦の日である。1905年5月27日より、ちょうど100周年となった。日本海海戦のとき連合艦隊の旗艦であり東郷平八郎大将が乗っていた戦艦三笠は、今は記念艦として横須賀にあり、中を博物館として公開している。今日はその記念艦三笠でもイベントがあったようで、いくつかのメディアで報道されていた。
ただ、今日のニュースソースはこちら。日本海海戦100周年について、産経と読売の二社が社説でこの話題を取り上げていた。

■【主張】日本海海戦100年 考え直したい戦いの意義 産経新聞社説(5/26)

 [日本海海戦]「歴史の潮目を変えた海戦だった」  読売新聞社説(5/27)

いずれも共通して司馬遼太郎氏の小説「坂の上の雲」を引用している。日露戦争の頃の歴史観にこの小説の影響力はなんとも絶大である。興味を引いたのは、もし日露戦争で日本が負けていたら、で、産経が引用するこの一節である。

「最小限に考えて対馬島と艦隊基地の佐世保はロシアの租借地になり、そして北海道全土と千島列島はロシア領になるであろうことは、この当時の国際政治の慣例からみてもきわめて高い確率をもっていた」

ここの部分は結構重要である。はっきり言えば東郷提督のセリフ「皇国の興廃この一戦にあり」はそのまま言葉通りだったのだ。もし負けたら日本はヤバかったのである。戦後教育の歴史の授業ではこの事実に触れることはまずなく、日露戦争というものが日本にとってどのようなものだったのかが全くわかりにくい。
さて、一方読売の社説だが、ここの部分を紹介したい。

>例えば、日本の諜報(ちょうほう)員は、西欧や北欧の各地で、ロシアの革命運動家たちにひそかに接触しながら、資金援助も行い、ロシア国内の攪乱(かくらん)に努めた。

実名が書かれていないが、ここで触れている日本の諜報員とは、明石元二郎大佐のことである。この人は、日露戦争後は大将まで昇進したあと第七代台湾総督となり、自ら「台湾の土になる」と言って台湾の近代化に尽力し、言葉通り死後台湾に埋葬された(※)ことでも有名な人物である。
日露戦争での明石大佐の大活躍は世界でも有名で、なんと現在でも世界の諜報機関の訓練教材にこの人の名は出てくると言われている。日露戦争中、ロシアで起きた暴動や暗殺事件、有名なものでは、血の日曜日事件や、映画で有名な戦艦ポチョムキン号の反乱事件も、なんと明石大佐が裏で一枚噛んでいたというのである。いやはや、我々戦後の日本人的には、明治時代の日本人にはこんな凄い人がいたのかと、カルチャーショックに近いものを受けてしまう。

※遺言としてその言葉を遺していたそうで、なんでも内地の自宅で亡くなったのを遺体を再び台湾に運び込んで埋葬したのだそうである。

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2005年5月 8日 (日曜日)

米、北朝鮮の核実験阻止へ先制空爆をすでに計画

連休が仕事で全壊の施設長です(泣)。更新が滞る間にまたかなり強烈なニュースが飛び込んできたようだ。一昨日、アメリカの偵察衛星の情報から北朝鮮で核実験の準備を始めていると伝えられたが、これに対し米軍が核実験阻止のための先制空爆計画をすでに立案していると米NBCテレビが伝えた。

米、北の核実験阻止へ先制空爆立案 産経新聞(5/7)

米軍、北朝鮮の核実験阻止へ空爆計画立案・NBC報道  日本経済新聞(5/7)

まあ例えば大量破壊兵器を開発・保有している疑い(しかも結局占領してみたら見つからず)だけでイラクのフセイン政権は滅ぼされた。一方あからさま核保有を宣言し、いよいよ核実験準備か?と言われている北朝鮮。まあはっきり言ってもし北朝鮮が産油国だったら、イラクよりとうの昔に米軍に瞬殺されていたことだろう。しかし、油は湧かずとも核実験を実際にやるとなるとさすがに話しがここまで来てしまったようだ。
にしても、堂々と核保有を宣言し核実験を準備している日本の近隣国北朝鮮なわけだが、これに対し日本国内の反戦反核団体はどうしているのだろう。
ちなみに、以下は一昨年都内で行われたイラクへの自衛隊派遣に反対する反戦デモのようである。

http://www.mkimpo.com/diary/2003/xmas_mission_2003.html

ところで、「一部のプラカードのメッセージには私は必ずしも賛成できません。」って・・・、ん?ちょっとまて、この写真の中にある一枚(右側上から6枚目)を拡大させていただく。

Image2








・・・。これが日本国内の「反戦」団体の実情のようである。

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2005年5月 1日 (日曜日)

中国反日暴動:海外メディアの反応(おまけ)

今日はもうひとつおまけ。先日の中国の反日デモについて欧米の報道についての話題より。暴動に発展した中国の反日デモに対し、日本の反応はネット上でも冷静である、という内容なのだが、

Japanese react to China protests with calm  イギリス・フィナンシャルタイムズ(4/14)

“We should show the world in a demonstration the difference between the Chinese and civilised Japanese. Chinese only express their anger in the form of violence. We should organise a peaceful demonstration in Japan [and] make a sign in English saying ‘Stay away from the Beijing Olympics’,” said one entry on Japan’s popular 2-channel website.

英国フィナンシャルタイムズ紙がとうとう2ちゃんねるをソースに記事を書いてしまいましたとさ・・・。

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<日本人妻帰北>平壌行き、北朝鮮が説得か 瀋陽の領事館で

そういえば、当施設でまだ話題にしていない国があった。一番キチガイ度は高いのにね。(:p
今日は遅ればせながら初登場、北朝鮮関連のニュースより。

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<日本人妻帰北>平壌行き、北朝鮮が説得か 瀋陽の領事館で Yahoo!Japanニュース(4/30)

北朝鮮を脱出して日本に帰国したが、再び北朝鮮に戻った元日本人配偶者の平島筆子さん(66)が「長男の嫁に会う」と言って中国東北部・遼寧省瀋陽に渡った直後、北朝鮮側の指示で北朝鮮総領事館に連れて行かれたことが29日、中朝関係筋の証言で分かった。・・・
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先日TVのニュースで瀋陽で、また平壌に戻っての記者会見の映像が流れていたが、一言で言ってあんなおぞましい映像も珍しい。日本に行ったのはだまされたため、などという話しが書かれた紙を読み上げさせられ、最後に「金正日将軍マンセー!」。このとき涙声になっていたが、もちろん「北朝鮮に戻れて嬉しい」表情などにはとても見えなかった。昨日のこのニュースで、日本人妻の平島筆子さんが「家族に会うため」中国の瀋陽入りしたとき、北朝鮮側関係者が接触し、そのあと北朝鮮総領事館に連れて行かれたことがわかったという。ちなみにテレビ朝日の「報道ステーション」で、東京都内の平島さんの残された部屋のようすが取材されていたらしい。なんでも冷蔵庫に食品も残したままで、そのまま北に戻ってしまうつもりだったとはとても考えられない状態だったという。これは北朝鮮に残る子や孫の身の安全のことで脅され、拉致られたと考えてほぼ間違いないだろう。
拉致被害者の曽我ひとみさんが日本への帰国を果たした後、まだ北朝鮮に残る夫ジェンキンス氏との再会の場所を当初中国で、という話しになりかけたのを曽我さんが強く拒否したことを思い出す。ジェンキンス氏は2回目の日朝首脳会談のとき、小泉首相が平壌でジェンキンス氏と直に会って「あなたの身の安全は私が保証する。」と言ったときでさえも、頑なに「私は日本には行けない」と言っていた。が、結局再会の場所はインドネシアとなり、北朝鮮関係者を排除しての再会をしたところ、ジェンキンス氏はついに「本当は日本に行きたかった」と心中を告白、子供達とともに日本へ渡ることに成功したのである。
被害者の自由と安全の確保にはよくよくの配慮が必要だったということなのだが、これは帰国したあとでもである。ジェンキンス氏のケースはその成功例だが、平島さんのケースは失敗例というしかない。

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