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2006年8月27日 (日曜日)

渡嘉敷島集団自決、軍命令は創作:関係者証言

さて、また一つ興味深いニュースが出てきたので紹介しておこう。

「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決 元琉球政府の照屋昇雄さん IZA! by 産経新聞社(8/27)

第二次大戦末期の沖縄戦の最中、渡嘉敷島で起きた住民の集団自決について、これまで日本軍の命令によって行われたものと言われ、今も多くの歴史教科書にもそのように書かれている。ところが、戦後琉球政府で軍人・軍属の遺族の援護業務を担当した人としては初めて、「軍命令による自決はなかった」との証言が出てきた。終戦直後、琉球政府社会局援護課で戦傷病者戦没者遺族等援護法に基づく年金や弔慰金の支給対象者の調査を担当していた照屋昇雄さん(82)の証言。軍人や軍属ではない一般住民は同支給対象の適用外となってしまうため、終戦時に海上挺身隊第3戦隊長として島にいた故赤松嘉次元大尉に軍の命令があったことにしてほしいと依頼し、同元大尉の同意を得てその旨の書類を作成してもらったという。
 この問題については、作家の曽野綾子氏の調査など、だいぶ前から軍命令説には疑問が提示されていた。戦後、赤松元大尉は「住民に集団自決を命令して死なせた残虐な指揮官」の烙印を押され、左翼やそれに同調するメディアなどから叩かれていたが、今では赤松元大尉を著書で非難した某ノーベル文学賞作家(「某」になってねーしw)とその出版社が、赤松元大尉の家族や関係者などから損害賠償と謝罪広告を求める訴訟を起こされている。
 沖縄戦初頭の渡嘉敷島で、戦火に追い詰められた300人を超す住民が集団自決で尊い命を失ったのは厳然とした事実である。だが、その内容は我々がこれまで聞いてきたものとはだいぶ違っていた。島にいた日本軍指揮官が住民に自決を命令した事実はなかった。またその指揮官は実際には自決した住民の遺族を思い、遺族援護法の支給対象のなるよう自ら「自決を住民に強制した残虐な指揮官」の役を買って出た人物だった、というのである。

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2006年8月26日 (土曜日)

中国奥地の砂漠に台湾空軍基地そっくりの地上絵:台湾侵攻作戦の演習場か

施設長もGoogleEarthをPCに入れてときどき楽しんでいるが、今日はこんなニュースから。

GoogleEarthが捉えた中国の不思議な軍事基地、中国が台湾侵攻を準備? Technobahn(8/25)

GoogleEarthをお持ちの方は見てほしい。google mapでも同様の写真が見られるのでリンクしておく。

中国甘粛省の砂漠地帯にある問題の地上絵 (北緯40°22'36.11"、東経99°53'15.16" )
台湾、台中にある清泉崗空軍基地 (北緯24°15'50.01"、東経120°37'49.16" )

地上絵を拡大すると、ところどころ爆撃痕と思われるクレーターもはっきりと見て取れる。台湾の写真と比べると以下のうちの爆撃痕(1)は空軍基地付近の高速道路のインターチェンジにあたる場所のようだ。

地上絵付近の爆撃痕(1)
地上絵付近の爆撃痕(2)

ただし、中国でこのような台湾侵攻作戦の具体的な準備が進められていることは実際にはかなり前から知られていることではある。

中華週報1906号(5.20) (1999/5/20)
>中共が台湾侵攻着々準備  四大軍区に擬装基地建設
>◇甘肅省鼎新地区:蘭州軍区に属し、台湾南部の清泉崗空軍基地とまったく同じ基地を建設し、とくに九六年八月下旬にここで攻撃演習を実施した。さらにこの地に台湾中部の新竹空軍基地の模擬基地を建設し、ミラージュ戦闘機の動向を把握しようとしている。

近年、GoogleEarthのようなものができたおかげで一般の人にもその実態を見ることができたというところか。実際に台湾の基地そっくりの演習場が現れるとなかなかショッキングである。それにしても思うだが、専門家の間では随分昔からわかっていたことである。未だ「中国は脅威ではない」などと言い張る政治家やマスコミというのは、よほど情報収集能力に問題があるのか、または中国の侵略に実は加担する立場にいる人たちであるか、まあどちらかということのようだ。

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2006年8月15日 (火曜日)

21年ぶり終戦記念日に:小泉首相靖国参拝

小泉首相が今朝7時半すぎ、東京・九段北の靖国神社を参拝した。終戦記念日の参拝は今回が初めて。現職首相の終戦記念日の参拝は昭和60年の中曽根康弘元首相以来21年ぶりである。

小泉首相が靖国神社参拝 終戦記念日は初 産経新聞(8/15)

かの変人宰相と呼ばれた小泉首相でも、ここまで長かった。小泉首相自身の発言の通り、「いつ参拝しても批判を受けるのは同じ」、これは最初からわかっていたことだし、だったら最初から終戦記念日参拝していいじゃんと思っていたが、世論をここまで盛り上げてやる戦略が、今から思えば必要だったということだろう。そしてその効果はあったのだ。

靖国神社:最多25万人の参拝者 これも“小泉効果”? 毎日新聞(8/15)

去年に続き再び参拝者最多を更新と来たものだ。施設長が見ているだけでも、初詣といい花見といい、確かに近年靖国神社を訪れる人の数は増えているような気がしてならない。

ところで、施設長はというと実は一昨日13日に行きました。中国の圧力を受けて日をずらしたのではなく夏休みを来週の予定にしているので今日は仕事だったからなのだが、記念に写真を載せておこう。これは遊就館の前に最近出来たラダ・ビノード・パール博士を記念した碑である。パール博士は極東国際軍事裁判(東京裁判)の判事を務めたインド人法学者である。東京裁判の判事の中では唯一(ってどーゆーことよと言いたいが・・・)の国際法の専門家で、裁判自体を批判し、被告の全員無罪を主張したので有名である。

08130001



碑文にはパール博士が東京裁判の期間に研究・調査してまとめた膨大な判決文の最後の結びの文章が書かれている。

08130002



「時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には、また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には、その時こそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くにそのところを変えることを要求するであろう」

小泉首相が任期の最後で、遂に終戦記念日に靖国神社を参拝した。だが日本人にとってこれはまだ終わりを意味するものではない。

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2006年8月10日 (木曜日)

「歴史問題、永遠に言い続けよ」:中国前国家主席

今年もまた終戦記念日が近づいてきた。小泉首相の任期もあとわずか、今年はいよいよ就任当初の公約であった靖国神社の終戦記念日参拝が実行される公算が高いと言われている。さて、そんななか、例の富田メモ騒ぎが起きたわけだが・・・。
問題のメモの内容については疑問点も指摘され始めているようだが、とりあえずまず仮にその内容が真実だったとしても、今日はこのニュースを紹介して一点確認しておきたい。

「歴史問題、永遠に言い続けよ」江沢民氏、会議で指示  読売新聞(8/10)

中国の江沢民・前国家主席(前共産党総書記)が在任中の1998年8月、在外大使ら外交当局者を一堂に集めた会議の席上、「日本に対しては歴史問題を永遠に言い続けなければならない」と指示し、事実上、歴史問題を対日外交圧力の重要カードと位置付けていたことが、中国で10日発売された「江沢民文選」の記述で明らかになった。
そう、まずはっきりと確認しておきたいこと、これは賭けてもいいが、


たとえA級戦犯を分祀しても、中国・韓国との歴史問題は絶対に解決しない。


A級戦犯を分祀したところで、今度はBC級戦犯、いや戦犯以外も侵略者だと、いくらでも言いがかりを必ずつけてくる。心して肝に銘じておくべきだ。靖国神社もA級戦犯も彼らにとっては所詮は日本を言いなりにさせるための手段に過ぎないのである。

ここ重要。

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2006年8月 6日 (日曜日)

原爆の日:イデオロギーを超えた議論をするには?

今日はやはり61年前の広島への原爆投下について触れているところが多いが、読んで「をいをい・・・」と言いたくなるところがあった。朝日とかではない、どっちかというと保守よりと言われている読売の社説である。

[原爆忌]「『北』の核の脅威を見ない平和宣言」 読売新聞社説(8/6)

今ある核の脅威に目をつぶった平和宣言、確かのその通りだ。サヨ団体の反核運動を反米イデオロギーによるものと叩くのもいい。

> 早期に戦争終結が出来たら原爆投下を避けられた可能性はあった。ドイツ降伏時、沖縄戦の終了時、降伏の条件が連合国から示されたポツダム宣言の発表時など、戦争を終結させる機会は何度もあったのである。
>原爆被害の責任を論じる際、終戦工作が遅れた日本の指導者層の対応も問われる点だ。

だがこれは違うだろう。サヨクを叩くわりには、結局「日本さえいい子でいればよかった」論。これでは脳内お花畑の左巻き連中となんらレベルが変わらない。
一方今日の朝日の社説は「原爆を落したトルーマンは酷い」と一応書くのだが、じゃあ連合国は悪いのかというとそっからさきの議論は一切なし。結論の部分では例によって平和念仏をひたすら唱えるだけで社説は終わっているのだからどうしようもない。
原爆投下のおかげで戦争は終結したか?当時の米軍上層部の何人かがこれをはっきり否定している。

米軍戦略爆撃調査団報告(1946年)
 「たとえ原子爆弾が投下されなかったとしても、たとえロシアが参戦しなかったとしても、さらにまた上陸作戦が計画もされず企図されもしなかったとしても、日本は1945年12月31日以前に必ずや降伏したであろう。」

ダグラス・マッカーサー(太平洋地域連合軍最高司令官)
 「私は原爆の使用については相談を受けなかった。もし相談を受けていたとすれば、それは不要である、日本はすでに降伏の準備をしている、との見解を表明していたであろう。」(1961年の書簡より)

マッカーサーの他、欧州戦線の連合軍最高司令官だったドワイト・アイゼンハワー、米太平洋艦隊司令長官のチェスター・ニミッツ、「猛牛」とあだ名された米海軍第三艦隊司令のウィリアム・ハルゼーなども異口同音に日本への原爆使用については「不要」の見解を持っていたという。
「マンハッタン計画」に参画した科学者や兵器専門家などのメンバーによる原爆投下目標選定委員会が選んだ投下目標地は京都、広島、小倉、新潟。のちにスチムソン陸軍長官の反対により京都が外され、代わりに長崎が選ばれたという。これらの都市が投下候補となった大きな理由の一つはこれだ。

まだ空襲を受けたことがなく無傷であったこと。

原爆投下の効果がなるべくわかりやすい都市である方がよかったのだ。しかし、それって逆に言ってそれまで攻撃することが不要不急の場所だったと言ってるようなものである。要するに、広島・長崎への原爆投下は、実戦の名を借りて生きた目標を使った核実験だったと言わざるを得ない
「イデオロギーや政治的対立などに左右されることなく、原爆にかかわる戦争責任について、冷静に議論を」始めるためには、この部分はむしろ避けて通れないだろう。

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