2006年8月 6日 (日曜日)

原爆の日:イデオロギーを超えた議論をするには?

今日はやはり61年前の広島への原爆投下について触れているところが多いが、読んで「をいをい・・・」と言いたくなるところがあった。朝日とかではない、どっちかというと保守よりと言われている読売の社説である。

[原爆忌]「『北』の核の脅威を見ない平和宣言」 読売新聞社説(8/6)

今ある核の脅威に目をつぶった平和宣言、確かのその通りだ。サヨ団体の反核運動を反米イデオロギーによるものと叩くのもいい。

> 早期に戦争終結が出来たら原爆投下を避けられた可能性はあった。ドイツ降伏時、沖縄戦の終了時、降伏の条件が連合国から示されたポツダム宣言の発表時など、戦争を終結させる機会は何度もあったのである。
>原爆被害の責任を論じる際、終戦工作が遅れた日本の指導者層の対応も問われる点だ。

だがこれは違うだろう。サヨクを叩くわりには、結局「日本さえいい子でいればよかった」論。これでは脳内お花畑の左巻き連中となんらレベルが変わらない。
一方今日の朝日の社説は「原爆を落したトルーマンは酷い」と一応書くのだが、じゃあ連合国は悪いのかというとそっからさきの議論は一切なし。結論の部分では例によって平和念仏をひたすら唱えるだけで社説は終わっているのだからどうしようもない。
原爆投下のおかげで戦争は終結したか?当時の米軍上層部の何人かがこれをはっきり否定している。

米軍戦略爆撃調査団報告(1946年)
 「たとえ原子爆弾が投下されなかったとしても、たとえロシアが参戦しなかったとしても、さらにまた上陸作戦が計画もされず企図されもしなかったとしても、日本は1945年12月31日以前に必ずや降伏したであろう。」

ダグラス・マッカーサー(太平洋地域連合軍最高司令官)
 「私は原爆の使用については相談を受けなかった。もし相談を受けていたとすれば、それは不要である、日本はすでに降伏の準備をしている、との見解を表明していたであろう。」(1961年の書簡より)

マッカーサーの他、欧州戦線の連合軍最高司令官だったドワイト・アイゼンハワー、米太平洋艦隊司令長官のチェスター・ニミッツ、「猛牛」とあだ名された米海軍第三艦隊司令のウィリアム・ハルゼーなども異口同音に日本への原爆使用については「不要」の見解を持っていたという。
「マンハッタン計画」に参画した科学者や兵器専門家などのメンバーによる原爆投下目標選定委員会が選んだ投下目標地は京都、広島、小倉、新潟。のちにスチムソン陸軍長官の反対により京都が外され、代わりに長崎が選ばれたという。これらの都市が投下候補となった大きな理由の一つはこれだ。

まだ空襲を受けたことがなく無傷であったこと。

原爆投下の効果がなるべくわかりやすい都市である方がよかったのだ。しかし、それって逆に言ってそれまで攻撃することが不要不急の場所だったと言ってるようなものである。要するに、広島・長崎への原爆投下は、実戦の名を借りて生きた目標を使った核実験だったと言わざるを得ない
「イデオロギーや政治的対立などに左右されることなく、原爆にかかわる戦争責任について、冷静に議論を」始めるためには、この部分はむしろ避けて通れないだろう。

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2005年12月 8日 (木曜日)

12月8日、今日は何の日?

1941年12月8日・・・、日本が米英蘭連合国との戦争に突入した日である。さてそのことに触れているメディアはあるかな?と思ったが各紙社説にそれを話題にしているところは残念ながらほとんどない。しかし、施設長的に一番期待していたメディアはちゃんと話題にしてくれていたようだ。

開戦の日 真珠湾だけではない  朝日新聞社説(12/8)

>真珠湾攻撃の印象があまりにも強烈だからだろう。太平洋戦争は64年前の今日、ハワイの真珠湾で口火が切られた、と思われている。
> しかし、実際に戦端が開かれたのはこの奇襲の1時間ほど前、英領のマレー半島に日本軍が上陸した時だ。

さて、施設長的には別にそりゃ知ってるよ、と思うだけだが、朝日としてはきっと「日本の戦争の本質はアメリカと戦ったことよりアジアを侵略したこと」ということを言いたかったのかな。うーん、どうしたんだ、もっとはっきり言ってくれなきゃわかりにくいじゃないか。
まあ、日本軍は別に東南アジアの民族に戦争をしかけたのではない。当時東南アジアを植民地にして天然資源を自分の物としていた連合国に戦争を挑んだわけだが。

>むろん、日本だけではない。戦火にさらされたアジアの各地に深い傷跡を残した。中国の犠牲者は、日本人研究者の推計でも1千万人を上回る。

全国紙の社説で唯我独尊書いている分にはいいが、これネット上で書いたら「ソース出せ!!」「日本人研究者って誰よw」と袋叩きに遭うだろう。ちなみに終戦当時蒋介石政権の発表した中国の犠牲者数はこれより遥かに少ない。戦後年々中国では日中戦争の犠牲者数は「成長」しているのである。江沢民政権の時点で、その数は実に3500万人、ソースはないけどこれ中国共産党の決定事項です。しかしさすがの朝日も中国の主張をそのまま垂れ流すことはいくらなんでもできなかったか。

>「あの戦争のおかげでアジアの人々は植民地支配から脱したのだ」と、いまだに主張する人たちがいる。
> 戦争の初期にフィリピンやインドネシアなどで、一部に日本軍を「解放軍」として歓迎する動きがあったことは事実である。戦争が独立を早める結果をもたらした地域もある。
> だが、現在は親日的とされるインドネシアですら、高校生向けの歴史教科書は「わが国を占領したことのある国の中で、日本はもっとも残酷だった」と記す。それが実態だった。

いやでも、以前と比べると随分変わったものだ。「日本軍を「解放軍」として歓迎する動きがあったことは事実である。」、「戦争が独立を早める結果をもたらした地域もある。」、「現在は親日的とされるインドネシア」。一昔前なら日本軍は悪でした鬼畜でした愚かでした迷惑かけました嫌われました終り、で済んだのに、いやあ、朝日がそんなこと言わなきゃならなくなったとは驚きである。朝日弁舌必死の立ち回りと言った風情だが、まあトドメを刺しておこう(笑)。
「"現在は"親日的とされる」?昔はそうじゃなかったけど、戦争からだいぶたった今は親日になったとか言ってる?インドネシアの親日話がまとまっているサイトを紹介しとく。

アジアにおける大東亜戦争 インドネシア編  「教科書が教えない歴史」自由主義史観研究会

http://www.jiyuu-shikan.org/faq/asia/A03_1.html

旧日本軍をたたえるインドネシア軍の軍歌。ジャカルタの独立宣言広場にスカルノとハッタの像とともにある独立宣言の碑文には、独立の日付がなんと日本の皇紀で記載されている。歴史教科書にしたって朝日が言うのとはだいぶニュアンスが違うようだ。
施設長的には、最近チャンネル桜のある番組で紹介していた映像に驚かされた。それは何年か前のインドネシアの独立記念日の前夜祭の映像、というものだった。インドネシアの戦中派のお年寄り達が集まって歌を歌いながら練り歩いている。何を歌っているのか・・・、ん?これ日本語の歌・・・?

「ミヨトウカイノソラアケテ~♪キョクジツタカクカガヤケバ~♪テンチノセイキハツラツト~♪キボウハオドルオオヤシマ~♪・・・」

愛国行進曲かよ!!※

>都合のいい部分にだけ光を当てて戦争を正当化するような言動は、アジアの心ある人々を遠ざけるだけだろう。

朝日よ。それ、ほんとにほんとか・・・?
最近ネットなどの媒体でツッコまれる朝日、反日は中韓だけ、との声が強まる。そうでない例を探すのに必死である。そしてシンガポールのリー・クアンユー元首相に飛びつく。

>回顧録(日本経済新聞社)で日本についてこう書いている。
> 「占領時代のつらい体験を持ち、日本人の特質に潜む恐ろしい一面を知りながら、それでもいま私は日本人を立派だと思う。日本人の持つ集団の結束力や規律正しさ、知性、勤勉さ。それらすべてが日本の力のもとになっている」

リー・クアンユー元首相は華僑である。華人はもちろん当時日本軍の敵方である。占領時代を「つらい体験」と書き、当時日本人を「恐ろしい」と思うのは敵だったんだからフツーだろう。しかしそのリー・クアンユー元首相でも後段で日本人をそんなに持ち上げていることの方がむしろ驚きだ。
さて、最後に当施設でも、同じく東南アジアの国、タイの首相経験者の発言(※ただし発言自体は下記ククリット・プラモード元首相が首相になる前、タイの有力紙サイヤム・ラット紙の主幹だったころのもの)を紹介しておこう。ソースは靖国神社のサイトより。

「日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が、米・英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったがためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して、重大な決心をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」

ククリット・プラモード タイ元首相
今月の遺書(平成14年12月) 靖国神社

※追記:なお、本記事で触れたチャンネル桜で放送された映像がYouTubeにありましたのでご参考まで。インドネシアのお年寄り達が日本の軍歌を歌っている映像に注目。(2007年3月10日追記) Independence parade of Indonesia YouTube

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2005年10月18日 (火曜日)

首相靖国参拝、今日の社説より

今日の新聞各紙の社説はもちろん、どこも昨日の小泉首相の靖国参拝を取り上げていたようである。朝日、毎日、それと日経あたりの内容は、まあ相変わらずというか、性懲りもなくというか。

靖国参拝 負の遺産が残った 朝日新聞社説(10/18)

負の遺産。中・韓が、靖国問題にぐたぐた言って来るようになったのは80年代半ば以降で、それ以前はなかったことは昨日述べた。今日の中・韓の反日は中・韓の中だけが原因で起きているものではない。朝日新聞など日本の左巻きのマスコミなどが80年代以降、歴史教科書(ちなみに誤報)、従軍慰安婦(ちなみに嘘話)、そしてこの靖国参拝と、中・韓にあることないことご注進報道をやらかして彼らを焚きつけた部分が大きい。不必要な対立と混乱を煽ったこれらのマスコミこそがむしろA級戦犯ものであり、日本と東アジアに負の遺産を撒き散らしているのである。

>首相のたび重なる参拝の結果として、靖国神社の展示施設である遊就館に代表される歴史観は、海外にも紹介されるようになった。あの戦争を「自存自衛のための戦い」とし、今もそうした過去を正当化している。
> そんな歴史観を持ち、A級戦犯の分祀(ぶんし)を拒んでいる神社に、首相が反対をものともせずに公然と参拝する。その映像はただちに世界に伝えられ、「歴史を反省しない国」というイメージが再生産されていく。

A級戦犯については昨日述べた通りだが、靖国神社が「あの戦争を『自存自衛のための戦い』」としていることを100%悪と言わんばかりのこの論調にも、ひとつツッコミを入れておこう。

1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会でのダグラス・マッカーサーの証言:

問(ヒッケンルーパー上院議員) 「では五番目の質問です。中共(原文は赤化支那)に対し海と空とから閉鎖してしまへといふ貴官の提案は、アメリカが太平洋において日本に対する勝利を収めた際のそれと同じ戦略なのではありませんか。」

答(マッカーサー将軍) 「その通りです。太平洋において我々は彼らを迂回しました。我々は包囲したのです。日本は八千万に近い膨大な人口を抱へ、それが四つの島の中にひしめいてゐるのだといふことを理解していただかなくてはなりません。その半分が農業人口で、あとの半分が工業生産に従事してゐました。
 潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまでに接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの地点においてか、日本の労働者は、人間は怠けている時よりも、働き、生産してゐる時の方がより幸福なのだといふこと、つまり労働の尊厳と呼んでもよいやうなものを発見してゐたのです。
 これほど巨大な労働能力を持つてゐるといふことは、彼らには何か働くための材料が必要だといふことを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有してゐました。
しかし彼らは手を加へるべき原料を得ることができませんでした。
 日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫(すず)が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如してゐる。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在してゐたのです。
 もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであらうことを彼らは恐れてゐました。したがつて彼らが戦争に飛び込んでいつた動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだつたのです。

小堀桂一郎『東京裁判 日本の弁明』講談社学術文庫

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2005年9月24日 (土曜日)

NYタイムズ紙の対日報道に外務省が”不公正”と抗議

 最近久々減量をがんばってる施設長です。2週間で2kg落しました。
 えー、そりゃともかくとして、

 外務省は21日までに、米紙ニューヨーク・タイムズの日本の政治や選挙に関する報道は不公正だとして、抗議する旨を同紙への投書の形で伝えた、そうである。

自民党「支配」中朝と同一視 米紙NYタイムズ報道 外務省、不公正と“抗議”  gooニュース、産経新聞(9/23)

 ニューヨークタイムズ紙、別名アメリカの朝日新聞である(爆)。まあアメリカにもおかしなメディアっているのね。
 外務省が抗議の対象としたのは、ニューヨーク・タイムズ九月七日付の東京発の「なぜ日本は一党に統治されることに満足なのか」という見出しの報道記事と小泉純一郎首相を批判した同十三日付の社説。これらの記事の中で、NYタイムズ紙は、自民党の長期政権保持を「中国や北朝鮮の共産主義政権の支配」にたとえ、「韓国や台湾の方が市民社会や自由なマスコミが健在で民主主義がより進んでいる」などと論評、他にも「日本の民主主義は幻想、その基盤は希薄」「五十年の一党支配が民主主義の成長を止めた」「マスコミはみな自民党路線」といった表現が続出、13日の社説では、「小泉首相の軍事的ナショナリズムという日本の伝統の愚かな受け入れを容認することとなった」、「軍国主義者が祭られる神社への小泉首相の参拝と、より力強い軍事政策への同首相の支持はアジアの世論を警戒させた」などと中国共産党の主張そのまま。さすがのあの外務省が抗議に至ったのだから、よほどの言い草だったようだ。
 しかし、日本でもこういうおかしな言論が跋扈することが多いので勘違いする人が後を絶たないわけだが、言うまでもなく日本の自由と民主主義はアジアでもっとも成熟した方である。全体主義国家、中国・北朝鮮と比べるのは論外として、台湾は戦後長きにわたる国民党独裁政権を乗り越え80年代終り以降にようやく民主化を勝ち取った国。韓国も民主化への道は簡単ではなかったようだし、少なくとも今も(特に対日)歴史観に関するかぎりにおいては、あの国にまだ言論の自由はない。

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2005年9月21日 (水曜日)

「封印された歴史」認知の動き:ベトナム

終戦当時ベトナムに駐留していた日本兵が、その後ホー・チ・ミンのベトナム独立同盟(ベトミン)に参加、独立を目指してフランス軍と戦った事実を公に認知する動きがベトナム国内に出ているとのことである。

元日本兵の貢献、ベトナムで認知の動き 「封印の歴史」報道 産経新聞(9/20)

ベトミン軍に旧日本軍の武器の供与したこと、また陸軍士官学校教官だった将校がベトミン軍を訓練・育成したこと、また独立戦争に参加して戦死した旧日本兵が「革命烈士」の称号を与えられたことなどが伝えられているという。ベトナムでは、大戦末期駐留していた日本軍の食糧徴発により200万人が餓死した、という話しなどが宣伝されている事実は確かにあるが、ベトナムもどっかのように反日感情の強い地域かというと実際にはそうでもないという。ちなみにその200万人餓死の件にしても知られている限りその数字に根拠はない。飢餓は当時ベトナム北部で確かに発生したようだが、1944年の大凶作と、米軍の爆撃で南部の穀倉地帯との交通が寸断されたのが重なったため、というのが本当のところらしく、必ずしも日本軍の責任というわけでもないらしい。ちなみに当時ベトナム駐留の日本軍の数は10万、飢餓の起きた北部は一個師団2万5千だけで、その分の食糧徴発で200万人餓死というのは無理がありそうだ。
さて、独立戦争への旧日本兵の参加ということでは、これと似た話で有名なものでインドネシアのケースがある。同じ頃、インドネシアでも駐留していた日本軍の将兵約2千人が終戦後日本に帰国せず、その後勃発したインドネシア独立戦争に参加。再植民地化を狙い戻ってきたオランダ軍との4年にわたる戦闘で、その半数以上がインドネシアの土になったと言われている。
第二次大戦で日本が連合国と戦ったのは、あくまで連合国に石油禁輸などで追い詰められたため、その反撃手段として当時連合国が植民地にしていた東南アジアの資源地帯を奪取することが目的である。だが、現地の将兵に大東亜共栄圏で謳われたアジア解放の理想を信じ、それを日本が戦争に敗れたあとも本気で実行に移そうとした人が何百何千といた、それもまた事実だったようである。

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2005年7月26日 (火曜日)

「戦犯法廷」、こんなのはいかが

昨日今日あたり、NHKの番組改編問題がニュースを賑わしている。これはNHKが2001年1月30日に放送された、従軍慰安婦問題に関する民間団体の模擬裁判を取り上げた番組について、この番組に自民党の安倍晋三議員と中川昭一議員の圧力がかかって改変されていたと朝日新聞が昨年になって報道、これを全面否定するNHKとの間で対立が続いている問題である。
この問題に昨日25日、朝日新聞が「検証記事」と題した特集記事を掲載した。

「ETV2001~シリーズ戦争をどう裁くか~第2回 問われる戦時性暴力」
の編集過程を含めた事実関係の詳細について
  NHK(7/20)

結論から言うと朝日は、この問題で安倍氏・中川氏の圧力で番組が改変された確実なる証拠を押さえているわけではなさそうだ。それはいいとしても、ちなみにこの「民間団体の模擬裁判」とはこういう代物である。

女性国際戦犯法廷 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

弁護人なし、被告人故人で不在、裁判ゴッコにしても裁判と言える代物ではない。ちなみに従軍慰安婦問題だが、近年これに対する疑問や反証が多く出され、根拠に乏しいということで教科書出版各社の歴史教科書からもとうとう全て消えてしまったものである。朝日新聞を云々言う以前に、仮にも公共放送を自称するテレビ局がこんな内容を公共の電波に垂れ流していた。NHKも目糞鼻糞である点は押さえておこう。

しかし、こんなお遊び裁判ゴッコが許されるのなら、こんなのもいかがだろうか。

月刊「諸君!」 文芸春秋

2005年8月号 特集「東京裁判」を誌上「再審」する - 今だから言える 戦勝国こそ「超」A級戦犯がゾロゾロ -

読んで「あはは」と笑ってしまった。第二次大戦が終わってもし、戦犯裁判の被告席に戦勝国側を座らせたらどうなるか、同記事で「(東京裁判、ニュルンベルク裁判の被告は除く)もうひとつのA級戦犯リスト」の名前と罪状を挙げている。

1. 「平和に対する罪」 = 開戦の責任
  チェンバレン(英)、ダラディエ(仏) ・・・ ミュンヘン会談における対独宥和政策推進
  スターリン(ソ) ・・・ 独ソ不可侵条約によるドイツとの密約。日ソ中立条約破棄による対日侵攻。八月十五日以降の対日攻撃。
  蒋介石(中) ・・・ 米国の対日妥協に執拗に反対し圧力をかける。
  ルーズベルト(米)、ハル(米) ・・・ 対日強硬外交推進、ハル・ノート提示。
2. 「人道に対する罪」 = 大量虐殺など
  ルーズベルト(米)  ・・・ 対独、対日無差別爆撃を指示。
  トルーマン(米)    ・・・ 対日原爆投下を指示。
  ルメイ(米)       ・・・ 対日無差別爆撃を指示。
3. その他
  ド・ゴール(仏)、スターリン(ソ)、チトー(ユーゴ)、毛沢東(中) ・・・ 国際法違反のレジスタンス、パルチザン活動を指示。
  石原莞爾(日)  ・・・ 満州事変を拡大した軍人
  時流に迎合した知識人・文学者(戦後転向した者を含む)
  時流を煽った一部マスコミ

まあ、1.の「平和に対する罪」なるものは、史実では東京裁判で「人道に対する罪」では日本の最高指導者たちを裁くネタに困ったため作られたという代物ではある。が、2.以降について、歴史のIFで勝ち負け逆だったらリスト上の各人物の罪状を疑問視する者はいなかったのではあるまいか。無差別爆撃や原爆投下は本来弁明の余地はない。ド・ゴールやチトーも国際法違反というのは笑ったが、そういやまあそうだ。何事も視点を変えてみるというのは興味深いかもしれない。

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2005年5月28日 (土曜日)

日本海海戦100周年(5/27):おまけ

ところで、本日施設長はカレーライスを作ってみた。市販のカレールーを使えばすぐできるが、小麦粉を炒め、カレー粉とスープブイヨン、そして隠し味にチャツネを加える手作りの方法で作る。できたものはカレーライスとしてはなんとも素朴な味わいになり、いかにも日本人懐かしのカレーライスという感じになる。これが食いたかったのだ。

カレーライスはもはや日本人の国民食とも言えるが、日本でよく食べられるカレーライスはご存知の通り、元ネタであるインドや東南アジアのカレーとはだいぶ姿が違う。この日本のカレーライスの成立は旧日本海軍の軍隊食が最初と言われている。日本の海軍は元々明治期に英国海軍に学んで作られている。英国はインドを植民地としていた関係で海軍の軍隊食にカレーが使われていた。これが一緒に導入されたものだったようだ。英国海軍ではカレーをシチューの代用品(シチューよりも日持ちのする材料で作れる点が海軍の軍隊食としての利点だったようだ)として食べていたようで、日本のカレーがインドや東南アジアのカレー等と違い、小麦粉を使ってシチューのような姿なのはそのせいである。

明治41年に刊行された「海軍割烹術参考書」という資料で、軍隊食の調理法がまとめられているが、その中にカレーライスについての記述があるそうである。

海軍割烹術参考書(明治41年刊行)より抜粋:

材料牛肉(鶏肉)人参、玉葱、馬鈴薯、鹽「カレイ粉」麥粉、米

初メ米ヲ洗イ置キ牛肉(鶏肉)玉葱、人参、馬鈴薯ヲ四角ニ恰モ賽ノ目ノ如ク細カク切リ別ニ「フライパン」ニ「ヘット」ヲ布キ麥粉ヲ入レ狐色クライニ煎リ「カレイ粉」ヲ入レ「スープ」ニテ薄トロヽノ如ク溶シ之レニ前ニ切リ置キシ肉野菜ヲ少シク煎リテ入レ(馬鈴薯ハ人参玉葱ノ殆ド煮エタルトキ入ル可シ)弱火ニ掛ケ煮込ミ置キ先ノ米ヲ「スープ」ニテ炊キ之レヲ皿ニ盛リ前ノ煮込ミシモノニ鹽ニテ味ヲ付ケ飯ニ掛ケテ供卓ス此時漬物類即チ「チャツネ」ヲ付ケテ出スモノトス

最近では、スーパーなどでも懐かしのカレーライスのイメージを売りにして、「海軍カレー」などと銘打った商品が出ているようだ。一度手作りでも作ってみてはいかがだろうか。上述だけだと、分量などの記述がなくわかりにくいので、以下のURLを紹介しておく。以下はなんと海上自衛隊のサイト。ちなみに現在の海上自衛隊でも旧海軍の習慣を継承して、今でも週に決まった曜日にカレーライスが出るそうである。

「カレイライスレシピ」を試してみませんか。 (海上自衛隊第4術科学校のサイトより)
海軍レシピ (海上自衛隊第4術科学校のサイトより)

※リンクが変更、かつ内容が拡充されていたので修正、追記(2008/1/15)

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日本海海戦100周年(5/27)

更新が途絶えてしまいましたが、ここ最近の多忙状態、来月半ばくらいまでは続きます。あな悲し。ニュースは相変わらず日々いろいろ飛び込んで来るのに、残念である。
さて、5月27日は、日露戦争で最大の海戦であり、その勝利によって講和のきっかけとなった日本海海戦の日である。1905年5月27日より、ちょうど100周年となった。日本海海戦のとき連合艦隊の旗艦であり東郷平八郎大将が乗っていた戦艦三笠は、今は記念艦として横須賀にあり、中を博物館として公開している。今日はその記念艦三笠でもイベントがあったようで、いくつかのメディアで報道されていた。
ただ、今日のニュースソースはこちら。日本海海戦100周年について、産経と読売の二社が社説でこの話題を取り上げていた。

■【主張】日本海海戦100年 考え直したい戦いの意義 産経新聞社説(5/26)

 [日本海海戦]「歴史の潮目を変えた海戦だった」  読売新聞社説(5/27)

いずれも共通して司馬遼太郎氏の小説「坂の上の雲」を引用している。日露戦争の頃の歴史観にこの小説の影響力はなんとも絶大である。興味を引いたのは、もし日露戦争で日本が負けていたら、で、産経が引用するこの一節である。

「最小限に考えて対馬島と艦隊基地の佐世保はロシアの租借地になり、そして北海道全土と千島列島はロシア領になるであろうことは、この当時の国際政治の慣例からみてもきわめて高い確率をもっていた」

ここの部分は結構重要である。はっきり言えば東郷提督のセリフ「皇国の興廃この一戦にあり」はそのまま言葉通りだったのだ。もし負けたら日本はヤバかったのである。戦後教育の歴史の授業ではこの事実に触れることはまずなく、日露戦争というものが日本にとってどのようなものだったのかが全くわかりにくい。
さて、一方読売の社説だが、ここの部分を紹介したい。

>例えば、日本の諜報(ちょうほう)員は、西欧や北欧の各地で、ロシアの革命運動家たちにひそかに接触しながら、資金援助も行い、ロシア国内の攪乱(かくらん)に努めた。

実名が書かれていないが、ここで触れている日本の諜報員とは、明石元二郎大佐のことである。この人は、日露戦争後は大将まで昇進したあと第七代台湾総督となり、自ら「台湾の土になる」と言って台湾の近代化に尽力し、言葉通り死後台湾に埋葬された(※)ことでも有名な人物である。
日露戦争での明石大佐の大活躍は世界でも有名で、なんと現在でも世界の諜報機関の訓練教材にこの人の名は出てくると言われている。日露戦争中、ロシアで起きた暴動や暗殺事件、有名なものでは、血の日曜日事件や、映画で有名な戦艦ポチョムキン号の反乱事件も、なんと明石大佐が裏で一枚噛んでいたというのである。いやはや、我々戦後の日本人的には、明治時代の日本人にはこんな凄い人がいたのかと、カルチャーショックに近いものを受けてしまう。

※遺言としてその言葉を遺していたそうで、なんでも内地の自宅で亡くなったのを遺体を再び台湾に運び込んで埋葬したのだそうである。

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2005年4月10日 (日曜日)

千代田のさくらまつり最終日

靖国神社の話題が立て続くが、今日はニュースをちょっと離れて一息。

靖国神社と言えば、東京の最も有名な桜名所の一つであることを忘れてはいけない。そもそも気象庁による東京での桜の開花宣言の定義が、「靖国神社の境内にある、開花宣言を定義する3本の桜のうちの2本で数輪花をつけたら開花を発表」なのである。今年の開花宣言は、例年より遅かったが、しかし今週気温は急激に上がり、満開までが異様に速かった。桜の季節、靖国神社では「千代田のさくらまつり」というものが催されるが、毎年満開の時期を予想しながらその期間を決めているはずで、今年などはさぞかし難しかったのではあるまいか。最終日の今日は風が強かったせいか、満開からやや散り始めといった感じであった。まあ今日を最終日にしたあたり、まつりの期間の設定としては成功である。
それにしても、千鳥が淵、靖国通りから、参道と神社の中まで、物凄い数の桜である。神社の情報によると境内だけで1000本、うち600本がソメイヨシノ、350本が山桜だが、寒桜、富士桜、寒緋桜、四季桜、枝垂桜、ウコン桜などそれ以外の数多くの品種も計数十本植えられているとのこと。
そしてさくらまつりだが、神社の巨大な参道の端から端まで200軒と言われる数の屋台が並ぶ。そこに老若男女、家族連れやカップルから外人まで、これまた何万という数の人がつめかけて賑わっている。
マスメディアの流す情報を見れば「軍国主義の象徴と罵られ、政治家が参拝すると中国・韓国が大騒ぎ」の話しばかりでうんざりさせられるが、祭りの日にはこれだけの数の人が集まって祭りを盛り上げ楽しんでいる、靖国神社とはそういう場所でもある。

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